ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

21歳、最後の演劇(青年団リンクキュイ『景観の邪魔』)

お久しぶりです。諸々の積み重なりでなかなか文章を書く時間も体力もない状況ですが、公演の振り返りは大事なので、手短に、簡潔に、書いていきましょう。めんどくさいのであんまりうまい文章にはならないと思いますが、もう許して。うまく書くことに疲れているの、僕は。

 

11/21〜12/1にかけて青年団リンク キュイの『景観の邪魔』という作品に出演していました。2017年に行われた同作の初演を観ていたのですがそれがとても好きだったので、今回再演版に出られて嬉しかったです。戯曲の中身については思うことがあったりなかったりしますが、俳優としてやったこととはあまり関係ないので省略していきます。どんな作品であったのかどうかはこちらのリンクを見てください。

 

公演情報 www.seinendan.org

観てくださった方の感想 togetter.com

戯曲(PDF形式、下の方のリンクから) www.musashino-culture.or.jp


ということで戯曲や演出の趣向と自分のやっていたことについて書きます。この『景観の邪魔』という戯曲は東京23区+武蔵野市にまつわる全24シーンからなり、また明示された役が14つあります(なおシーンによっては役がなくテキストだけが書かれています)。なおかつその役と俳優が一対一で対応するような演出を拒む但し書きがなされており、今回の上演では役の数よりはるかに少ない3人の俳優が出演しました。シーンは断片的で、それに伴い役も、あるときは青年、あるときは主婦、あるときは土地神と目まぐるしく移り変わっていきます。少ない人数でその変化を成り立たせるための枠組みを作る方策を探るのがこの上演における困難でした。演出の橋本さんは物語世界内の役(キャラクター)だけが前景化するのを避け、いまここにある俳優の身体を共に表面化させることでその変化を成立させようとしていたように思えます。個人的にはこの方針には基本的に肯定的で、それはほぼ身体感覚のようなものですが、今の自分には役を無責任に負うことはできず、様々な役をキャラクターとして演じることは不可能だと考えられるからです。もちろん、そのほかに使える道具が用意されれば別ですが、今回橋本さんが導入した道具立てでは確実に無理だと思います。まあ、僕には無理だった。そういうこともあって綾門さんの書いた台詞をつつがなく発話することには全然興味を持てず、なるべく抵抗を持ちながら話すという(割といつもやっているけどどういう仕組みなのか自分でもあんまりよくわからない)方法を採りました。それを「テキストと分離した身体」と表現されてしまったのはちょっと力不足だったのかなと思います。たしかに役を全面に押し出した演技はしていないのでキャラクターからはズレたものになるとは思うのですが、本当はそのことによってテキストとむしろより密接に関係できるのではないかと思っていたので、単にテキストと分離していると観られてしまったのであれば不本意です。「これは演劇ではない」のドキュメントブックで語られていた「ヘラヘラ」問題に立ち向かいたかったのですが、あんまりうまくいかなかったみたい。もうちょっと精進します。演技で人を殺したい。

それに加えて難しかったのはほぼはけずに舞台上に居続けなければならないことでした。役なのか俳優自身なのか判らないようなあわいの身体を舞台上に残すとか、テキストや演技の集中度をコントロールするというようなことなのでしょうが、結構長い間黙ったまま舞台上にいるわけでその間に何かやることを作らないといけない、作らないと虚無が訪れてしまうので。だから、稽古場では話されているテキストを自分も内的に発話してながら稽古場の床とか天井の隅とかを丹念に観察したりしていたわけですが、劇場に入ると井坂さんのもはや美術になった照明のおかげで素舞台より2億倍は演技しやすくなって、というより舞台上に居続けることが自分の中で意味付けられるようになり意外と居られるようにもなりました。セノグラフィーは本当に馬鹿にできないという深い学び。あと、きっかけという概念のある作品がほぼ初めてだったので、結構困りました。最近フォーリーアーティスト(映像作品に足音とか物を切る音とか入れる人)がかなり演技をしているって話を聞いてほぉ〜と思っていたけど、音響や照明もだいぶ共演者だなと実感しました。なんで稽古場には音響や照明がないんだろうね。アトリエほしい。

そして始まってからはお客さんとの対峙がやはり思ったよりキツくて演劇の難しさを実感しました。毎回お客さんの雰囲気は違ってその日ごとに調整をかけないと全くもって歯が立たない。その調整がうまくいく日もうまくいかない日もあり「演劇は生もの」とかいうぬるい言葉では片付かない、観客との関係の取り方は公演期間でしか作り上げられないという演劇のアポリアに直面する日々でした。翻って自分が演劇を観にいくときの姿勢を考え直す機会にもなったと思います。

今回は自分がやれることややってよいと思えることしかやらないという意志のもと稽古に臨んで、その結果「いつものビリー(の演技)だったね」と言われまくりましたが、まあそれはそれで良かったのではないかと思っています。作品を媒介に演出家と俳優がオーダーを出し合う関係性をある程度作って稽古を進められたと思うので。ただ、もう少し作品について話したりしたりする機会を作れればもっと良かったのかもしれないですけどね。あと、自分が稽古で考えたこととかもうちょっとメモしたほうがいいよ、君。

それにしても、今年7本(そんな出てたんだ!)演劇作品に出演して、気がついたらひとりで話さなきゃいけない場面トゥーマッチな作品ばかりになっていたし、そろそろ自分のやっている方法にも飽きてきたので、バキバキの会話劇とかふざけたコントとか強い方法を持つ作家の作品とかをやってもっと別の回路を探していきたいと思います、のでその機会をください!!!それとは別に演出もしたい、のでします!!!でもその前に卒論と授業の課題と院試を頑張ります!!!あ〜〜〜〜〜〜!!!

 

 

稽古期間に聞いてグッときた曲で締めます。『景観の邪魔』終わりました、笑い飛ばせる日までしばしさよなら。