ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

2020年(+α)これを聴けてよかったーソング

みなさん、いかがお過ごしかな?!私はここんところビミョーな気分が引き続き、暇を持て余しています!いやいや、本当のところやるべきことが山ほどあるはずなんですが、まずやるべきことを形作るところから始めなきゃいけなくて、その元気がない、ないよ!

ということで、現実逃避行為の一選択肢として、去年+今年の1,2月に聴いてよかったーソングを書き連ねます。昨年同様順不同、よいこらしょー!!!

 

1. Safari / DinoJr. (2020)

youtu.be

DinoJr.自体はBREIMENの「Black or White」で知ったんだった。いい声をしているなというのが第一印象で、確かAppleMusicがアルバムが出たタイミングでお勧めしてくれたような気がする(そういや、僕はこの一年でAppleMusicからSpotifyにゆるやかに乗り換えました)。僕は歴史が弱いので影響関係とかは言い当てられないけど、ブラックミュージックからのエッセンスがうまく日本語へと持ち込まれているなって思う。そこらへんの話はインタビューで語られています。『2091』全曲通してとても良く、それは一回聴き始めちゃうと気づいたら全曲聴いちゃうよ〜っていうタイプの良さ。その証拠にこれ書きながら全曲聴いちゃうよ〜ってなってる。「RWY feat.吉田沙良」、「YAWN feat. MC SCARF」もお気に入り(後者はPVがイイ)。

2. LIFE / TENDRE (2020)

youtu.be

ちょっと前までTENDREの声があんま好きじゃなくて、それだったらSIRUP聴きますと思ってたんだけど、新譜出たタイミングで聴いてみたらめちゃいいじゃんってなってそっからはどっちも聴いてる。もはや何が苦手だったのかわからないくらい。

イントロのめちゃかっこよサックスからの歌い出し、「永遠が在るなんて/考えも歌にさえもしなかった」のするする耳に入ってくることよ。自分が全然歌詞を聞けない人間なので歌詞が聞こえるだけでびっくりしちゃう。例えばここでは「n」(「ん」とか「な」とか「に」)の音が重ねられていて、それが彼の声とマッチしている。声とリズムと詞の仕事が良い。あと、大サビが、映画が終わるちょっと前みたいな、終わらないでって願いつつでも終わってしまうのを見届けるあの時間みたいで素敵。

3. Weak / Sunday Service Choir (2019)

youtu.be

Kanye Westがプロデューサーを務めるゴスペルクワイアの一曲。これもなんとなく敬遠していて聴いていなかったんだけど、いざ聴いてみたら爆かっこよくて困りました。結構、Twitterとかで回ってくるよね。アルバムにはわりかしカバーが多くてこれもSWVのカバー。原曲からのアレンジが最高で、何遍も聞いてます。この曲弾けるようになりたい。

あとライブがもうなんか謎のかっこよさを誇ってるので、早くこれになりたい。

youtu.be

4. 未熟な夜想 / 浦上想起 (2020)

youtu.be

浦上想起……ありがとう……ありがとう……。メロディや歌詞から郷愁を感じる、サビで3/4に変わるのもグッドです……。ライブに行きたい……。三点リーダーに頼ってごめんなさい……。

5. 君の背中にはいつも愛がある / MISIA (2020)

youtu.be

MISIA先輩とコアラモード.の小幡康裕がタッグを組むとは……。アレンジも最高なんだけどアレンジャーが公開されてなくてモヤモヤする(黒田卓也だという噂を目にしたことはあるし、事実ブラスセクションかっこいい)。サビの跳躍とMISIAによるその歌いわけに感動しっぱなしだ。

6. 僕はバカ / 瑛人 (2020/2021)

youtu.be

斜に構えるとかもうないので言いますけど、ふつうに瑛人が好きです。小芝居で素の人の良さが出ちゃってる感じとか愛らしいです。そういうの抜きにしてもこの曲すごい良くて、特にサビのメロディがただただ良い。「青い空の下で」の上昇の気持ちよさよ!最後の「で」の発音も好きです。初めて作ったらしい「チェスト」もいい曲なので聴いてやってください……。

youtu.be

7. Time / 宇多田ヒカル (2020)

youtu.be

これは流石に恥ずかしいので言いたくないですけど、歌詞がすごい好きです……。

↑気持ちがよくわかります。気ぃ狂うわ。

8. 表情筋 / SUKISHA × kojikoji(2020)

youtu.be

これも歌詞が大好き(SUKISHAのトラックとかコーラスが好きなのはもうほんとに当然として!)。

表情筋が引きつるまで笑ったのはいつぶりだったっけ
無邪気に相好崩して大声で笑って
君と過ごすと顔がくしゃくしゃになるよ
高校生みたいな下らない話をご満悦で語るその顔に
気付くとどうしようもなくニヤついてるんだ
君と話すと頬が痛くなっちゃうんだよな

自分って人間関係にこういうことしか求めてない、っていうのは言い過ぎかもしれないけど、言い過ぎたくなるくらいにはこういう時間が大好き。生きていくのに大切な時間のことを考えちゃうよーな曲は素晴らしいね……!!!

9. 元年バンジージャンプ / BEYOOOOONDS (2019)

youtu.be

散策者のみんなと喜多方に滞在していたときに音楽酒場の店主に教えてもらって、そこから我々のなかで大流行した一曲。あまりに良すぎませんか???なんすか???Septemberオマージュらしいっすけど、こんな昇華のされ方すんのかよ。星部ショウを毎日拝んでます、土下座で。振り付けも歌割も、ため息と歓声が同時に出ますよ、ほんと。元気ない日はとりあえずこれ聴く!大事!

僕は基本アイドルは楽曲をたのしむためにしか聞かないんですが、1stライブの映像ほぼ通しで見ちゃうとそんなことも言ってらんないくらいの充実度なのよ……。夢羽ちゃんすごすぎんか???とか思ってたら他のみんなもすごすぎんか???なんなんよ……。んもー!7日まで公開してるからみんしゃい!!!ていうかこれを見ろというためだけに今日このブログ書いてるまでありますからね!!!

youtu.be

10. 恋愛レボリューション21 / モーニング娘。(2000)

youtu.be

広瀬香美YouTubeでカバーしてるのを見て、本家の方も聞いたら号泣した。僕2歳とかなのになんでこんなに確かに懐かしいんだろう、と不思議に思う。この時期のPVとかを色々見ていて、すごいグループがあったんだな、いや、というよりも僕の記憶にうっすらと残っていた「モーニング娘。」というグループはここまでの手応えを持っていたのかと、20年が経ってやっと自分の身体でたどり直せた。

11. なじょすっぺ / 南相馬&杉並 トモダチプロジェクト & YOU-10 (2019)

youtu.be

ヌトミックで福島リサーチをしたときにコットン収穫祭に参加したら、彼らがライブをしていた。全体的にSUPER MONKEY'SとかFolderとか、あの時代のキッズグループを彷彿とさせるテイストで、パフォーマンスとしてはまだまだ生々しかったけれど、ほだされてCDを買ってしまった。「なじょすっぺ」とは浜通りの方言で「どうしよう?」という意味らしい。一回聞くと耳に残る。ちなみにサビのダンスは観客も踊らされるのだが、レクチャーのときのテンポと曲中のテンポの違いがすごすぎてみんな戸惑いながら踊っていた。

12. Sweet Snow Magic / スターダスト☆レビュー (1991)

youtu.be

散策者で会津に滞在してた時に美味しいご飯屋さんで流れてた曲、Shazamし損ねたので宿泊先に戻ってから40分ぐらいかけて特定しました。ついつい踊りたくなっちゃう冬ソングが大好物です。16分の食いがめっちゃカッコ良くて癖になるのよね。サビ前のパートとかサビ行くと見せかけての間奏とかそれぞれ要素の組み込み方がおしゃれでそこも気に入っている。

13. Share The World / 東方神起 (2009)

youtu.be

今年最大の衝撃はこの曲を前山田健一ヒャダイン)が作曲していたこと。ワンピース見ていた時からガチ好き楽曲だったんだけれど、まさかお前だったとは……。AメロBメロとサビのきれいな対照、サビメロガチ泣きおじさんになるしかないよ……。

14. 恋は流星 / 吉田美奈子 (1977)

Spotifyが拾って持ってきてくれた名曲。こんな仕事がすでにあったのかと驚愕してしまった。全セクションカッコ良すぎでしょ。それに24歳でこんな歌作って歌えるんですか、怖すぎるんですけど。今でも怖い人たちはいっぱいいるけど、40年経っても新鮮にすごいと思える……。ちなみによくわかってなさすぎて1週間くらい本田美奈子と区別がついていなかった、どちらもいい歌手ですが。

15. Like a Queen feat.SOULHEAD / 冨田ラボ (2005/2006)

youtu.be


冨田ラボの2ndアルバム『Shiplauching』のなかから一曲。バカかっこいい。ストリングスとブラスの絡みがすごすぎんだよ、恵一!歌詞全然聞こえないんだけど響きがめちゃくちゃ好きで調べたら吉田美奈子が書いていてびっくりした。「愛に急接近」が "I need you, Seikin" にしか聴こえないのすごい。アウトロの最後で倍テンになるのカッコよすなあ、最後までチョコたっぷりや……。

16.  F it up / Louis Cole (2020)

youtu.be

Louis Coleのことはきもいドラムを叩く奴兼わりと一人なんでもできる系ミュージシャンとしてなんとなく認知していて、あんまり聞いてなかったんだけど、このライブ映像&アルバムがリリースされて頬を叩かれたような気分になった。凄まじいアレンジ能力とパフォーマンスの実力と謎のユーモアがライブとフルバンド編成で覚醒している。とりあえず、F it upをあげたけど他の曲もグッド、盛り上げていくぞ!

17. Feels Like Church / Peter CottonTale featuring Tiff Joy, Kirk Franklin and New Direction (2020)

youtu.be

Kirk Franklinは最近どんな楽曲に参加しているのかなーと色々掘っている間に見つけた。正直ほんとに一番聞いたのはこれだよっていうガチベスト曲。そういや星野源がプレイリストに入れてたな。あのー、ここまで元気でる曲ありますか?なんですかこれ?どういうカラクリ?まず、舌が回らないだろ、音に対して歌詞の量が尋常じゃないよ!2分半なのに情報量が全部多い、すごい、すごいよ……。元気のでない日曜日も、そうじゃない日も、これ聴いてなんとかぶちあげて乗り切った。ありがとう、ありがとう🙏

ということで全17曲、でありんす。以下、YouTubeSpotifyのリストです。一部ない曲もありますが、よしなに!

youtube.com

戯曲と〈声〉について(私性と共同性)

 この文章は私がいま考えていることを深掘りするために書かれており、説得性に欠ける部分があるかもしれないが、それは一旦脇に置いておく。大事なのは未来の自分のためにいま思いついたことを勢いに任せて残しておくことだ。

 誰かが必要として自ら書いた言葉を、私が外部から簡単に否定することはできないし、したいとも思わない*1。私ではない人が執筆を通じて考えた物事は自分なりに引き受けることはできても、厳密には私の問題にはなりえない。また、誰かにとって大切なものとして生み出された文章にはその事実だけである種の力があると感じるからだ。ある時間の厚みのなかで記された真剣さを持つ書き物は、私個人の好き嫌いとは別の次元で一定程度尊重したくなる、敬意を払いたくなる何かを持っている。

 しかし、自らの記した言葉を外に向かって晒す手つきはよく吟味されねばならないとも思う。個的な問題に立ち向かうなかで紡がれた言葉を誰に向かってどのように伝えていくのか。あらゆる文章は多かれ少なかれこの問いとの格闘として形作られるといえるのかもしれないが、いま私は戯曲に絞って論を進める。
 戯曲は、役の〈声〉とその座となる俳優の〈声〉を媒介にして、私的な思考を展開させていくテクストだと最近の私は考えている。両方とも(執筆の段階では)自分の内にしか存在しない不確かなものだが、書き手はそれらの〈声〉を媒介にして思考し言葉を書き残す。〈声〉を聴きながら書いているのだ。それゆえ戯曲のなかには書き手でも読み手でもない様々な他者の〈声〉が潜在している。ここでいう「役の〈声〉とその座となる俳優の〈声〉」は、XというキャラクターやYという俳優などと結びつけられるようなものでなく、それゆえ固定された響きを持つわけではない。書き手の思考、戯曲の地層の深いところを流れ匿名と顕名を行き来するような声である。戯曲を書く者は役という虚構の装置を時に利用し時に棄却しながら書き進めていく。この多声性は書くことにおける私性を(有意義な)共同性へと開く鍵になるだろう。すなわち、自分ひとりでいながらにして自分の枠には収まらないような地点へとジャンプすることができる。自分の書いたテクストから時として発したことのない〈声〉が聴こえる。
 しかし、同時にこの私性と共同性(多声性)のバランスが難しい。〈私〉への傾斜が強まり過ぎると、より切実らしい、より重大かのような言葉が並ぶ。言語の一般性の壁に阻まれ私が抱える切実さはよくある紋切り型へと回収されてしまうのだ。他方で〈声〉への斟酌が過ぎると、戯曲内の構造に囚われ〈私〉にとって重要な問題は遠のいてしまう。それは作品が作られる意義の喪失と言って差し支えないだろう。だから、両者を拮抗させることが唯一作品を守りながら多数の他者へと差し出すための方法だと考えているが、その具体的な方途は私も探している最中だ。

 具体性に踏み込むために「Aでない」という仕方ででも考えを進めてみよう。いま私は、無批判に量産される現代口語演劇のようなものなど、日本(語)という磁場をもとに作られる集団を想定したある種の戯曲に難しさを感じている。主に日本語のみを使って生活している人物が日本語を使って作品を作ること自体は当たり前のことだろう。しかし、日本語を使って作品を作ることと、日本(語)をもとにした集団に対して書くことは異なることだと思う。例えば、固有名詞や冗長語の使用はそれ単体では無意味だ*2。それは単に「らしさ」を借りてきているだけで、そこで作られる共同性はあまり良いものではない。書き手と異なる私の居場所は十分に確保されないままである。しかし、事前に共有しているものをちりばめることで、〈私〉と〈私たち〉を短絡させることができるかのように思われている節があるのではないか。そのような囲い込みに対しては抗したいというのがいまの私の立場である。あくまで足がかりとして既知の事柄を用いることで少しでも新たな地点へと歩を進めるのが理想的であろう。

 さて、書く段階から離れたうえでもできる仕事が残っているはずだ。戯曲は運が良ければ実在する他者に読まれ、上演の場にあげられる。すると、紙上に印刷された〈声〉が劇場空間のなかで身体化され、共同性の幅はさらに広がる。それが有意義に働けば〈声〉は一層複雑なものとして聴き取られる。戯曲のなかに潜んでいた〈声〉が俳優の身体によって増幅・変形され、観客によって聴き取られる。それは豊かなことだろう。しかし、時として既存の何かを上塗りするものとして俳優の声が利用される場合がある。そのとき、物理的な声がいくら感情的になろうと〈声〉は非常に平坦なものとしてしか聴こえてこない。それは少なくとも私にとってはとても貧しいことである。本来的には演劇のテクストや演劇の起こる場には常に聴くべき〈声〉がある。その〈声〉を聴くことによって劇場の共同性は最終的に成立するといっても良いくらいだ。何をもって「聴くべき」といえるのかを端的に言語化することはいまの私には不可能だが、戯曲を書いたり稽古をしたり上演を観たりするなかで、その感覚を忘れないことがいまの私にとって重要なことだ。

*1:もちろん、他の誰かを不当に傷つけたり貶めたりするためのものであれば批判することもあり得よう。

*2:これは個人的なものだが、笑いと結びつくと許せる感覚がある。これはシリアスな私性の運動としてではなく、言語を遊ぶことができているからかもしれない。漫才やコントなども射程に入れつつ言葉にできれば良いのだが、いまはそこまで辿りつかず……。

行け、動物の島へ

 

f:id:nonsensebilly:20200330190511j:plain

『行け、動物の島へ』表紙

 ある日、ベータとニーマは遊びたかったので家の中でさがしまわっていました。そして大きなドアがあったのであけてみるとなかに宝ばこが3つありました。小さい宝ばこ、中くらいの宝ばこ、大きな宝ばこ。ベータとニーマはかんがえました。

「うーん、どれがいいかな」

「わたしは大きいのがいいとおもう」

「ぼくは中くらいの」

「じゃあわたしも」

ということで中くらいの宝ばこをあけると中には、地図がでてきました。そのちずはかなり古くおよそ1万年ぐらい前の地図でした。お父さんとお母さんにないしょで宝さがしにいくことにしました。その地図がベータたちが、すんでいる町のとなりの島ににていたのですぐしまへ行きました。船をこぎつづけて三十分やっと島につきました。おひるにでもしようとあるいていると木がありました。しかも実もなっていますベータは実を一つとり食べようとしました。すると、どうしたことでしょう、なんと木のえだがぐんぐんのびていって空をおおったのです。

「暗いな〜。前が見えないよ」

「ぐ〜ぐ〜ぐ〜」

「ニーマおきろ」

ニーマがおきないのでベータだけ先に行くと大木がありました。でもかんたんにわれました。そして二つの道ができました。そして、きょ大ねずみが出ました。

「わ〜人だはずかし〜キャー見ないで〜」

「わ〜ネズミだ、大きいぞ〜食われるぞにげろ〜」

ベータはスポーツ万のうなのでにげ足もかなりはやい、もうネズミが見えなくなってしまいました。

「くさいぞ〜、あぶないぞ〜食っちゃうぞ〜」

どこからかきこえてきます。

「キノコッコ〜きノコ〜きノキノキノコッコ」

きのこのうたがきこえてきます。ちかくのキノコをぬくと、なんとキノコ星人が出てきました。

「土の中に入って3000年、ベテランとも呼ばれている」

「仲間になってくれ」

「いいでしょう」

「ありがとう」

こうしてキノコが仲間になりました。

「わたしはへんしんができるのだよ」

「じゃあイノシシにへんしんして〜」

「キノッコキノコッコポイポイノヒャ〜」

キノコがへんしんのじゅもんをとなえると「ブヒー」キノコがイノシシにへんしんしました。イノシシが走り出しました。

「まて〜」

「ブヒ〜」

「キキキー」

やっと止まりました。

「目の前にワニがいます」

「げきたいするか、しないか」

「しないほうがいいでしょう」

「仲間にしよう」

「いいでしょう」

「ワニくん仲間にならないか」

「バチャバチャバチャいいよ仲間になる」

「およぎが上手いんだね」

「わたしはへんしんがとけたよ」

「じゃあつぎはぞうにへんしんして」

「ぼくは川を見て回ってるよ」

「またあとでね」

「一回もどろう」

「そうしよう」

そのとたんに、ガオーという声がきこえて、よこからライオンがとびだしてきました。

「うわ〜」

「ゾウの体当たり〜」

「ウガー」

「きぜつしちゃった」

「ま〜いいでしょう」

「どんどんすすめたんけんたい」

 ベータが歌っています。キノコもおどっています。そして十分歩くと、

「そういえばニーマを忘れてた」

キノコをみつけた所にいくとニーマがねてました。

「ニーマおきろお〜いニーマ、おきなさい」というと

「ムニャムニャなにベータ何分くらいたった」

「五十分くらいたったよ」

「そうなの」

「あとキノコとワニもなか間になった」

「よかった」

「早く行こうワニの所に」

そして二十五分がたった。

「ぼくのせ中にのりたいって。いいよ」

「イェーイ」

「やっとねれる」

「キノコッコ〜キノコキノコ〜キノコッケコ」

「あ、あんなところに、へんな魚がいる」

「へんな魚というな」

「オーイなかまにならないか」

「なるわけがない」

「食われるぞにげろ〜」

「川の水ごとのみこんでやる」ガ〜ザッパン、ドハー

「ドキューン」

「アレ〜」

口から大ほうのようにとばされたベータたちは火山の中に入ってしまいました。

「あついな〜」

「ドキューン」

「アーレー」

またまたとばされエスカルゴの近くにつきました。

「ブルンブルン島さいこうの早さを持つのさイノシシより早い」

「仲間にならないか」

「いいぜ、よろこんで」

「じゃあ出ぱつしんこうブルブルブルン」

そしてどんどんすすむと

「シャチだよ〜ぐっちゃうぞ〜」

「食ってみろ」

「ではいただきます」

「うぉ〜にげろ〜」

ドガーンカチャバキューンベターンコリ」

「宝物みっけ」

「上を見てみろ太ようだ」

「きみたちをかえらしてあげよう」

「今までありがとう」

「バイバイ」

 そしてもどってきて、宝のはこをあけるとなんとあのどうぶつたちの形見が入っていました。

「ワニのかわのバック、かたつむりのから、ゾウのキバのもけい、キノコの歌のCD」が入っていました。

「ありがとう」

f:id:nonsensebilly:20200330190518j:plain

裏表紙