ブラックホール

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『天元突破グレンラガン』を観た話(信じることは生きるみなもと)

『プロメア』を観たときにやはり天元突破グレンラガンのことを想わずにはいられなかった。 せっかくなので以前グレンラガンを一気見した際に書いた文章を再掲する。


2018-06-20

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天元突破グレンラガンとは、僕が小学生の頃に放送されていたロボットアニメだ。当時から気になってはいたが、今の今までしっかり観る機会が無かった。それがAmazonプライムビデオで観られることについこの間気づき一念発起。全話を11時間(25分×27回)かけて観た。せっかくなのでグレンラガンを観て考えたことを書き残しておきたいと思う。

まずは、この作品のあらすじを紹介しておこう。結末までネタバレするので悪しからず。なお、手間を惜しんだためWikipediaの一部改変である。もう少し詳細な筋や設定はこちらのサイトをご覧いただきたい。また、あらすじが必要ない人は読み飛ばしてもらって構わない。

第1部 立志編 遥か未来、人間は時折襲う地震や落盤に怯えながら地下に村を作り住んでいた。ジーハ村の少年シモンは、いつものように得意な穴掘りをしていると、光る小さなドリルと巨大な顔を見つける。その時、突如として村の天井が崩れ、巨大なロボットとライフルを持った少女・ヨーコが落ちてきた。騒ぎの中、シモンは兄貴分と慕うカミナとヨーコと共に巨大な顔に乗り込み、コックピットに小さなドリルを差し込むと、その顔はロボット=ガンメンとなった。シモン達はラガンと名付けたそのガンメンで襲いかかる敵ガンメンを打ち破ると、勢いそのままに地盤を突き割り地上へと飛び出し旅を始める。カミナは人間を襲う獣人からガンメンを奪いグレンと名付け、ラガンと合体して「グレンラガン」となる。カミナの元に集まった「大グレン団」はついに獣人の持つ要塞型ガンメン・ダイガンザンとの決戦を迎える。しかし、前夜カミナとヨーコの逢瀬を見たシモンは集中を欠き、思うようにラガンを動かせない。シモンはカミナから発破をかけられダイガンザン討伐に成功するが、重傷を負ったカミナは命を落とす。

第2部 風雲編 リーダーのカミナを失った衝撃を隠せない大グレン団。シモンは獣人を完膚なきまでに叩きのめすことでその悲しさを紛らわそうとしていた。そんな中、シモンは偶然ガンメンによって廃棄された箱の中から謎の少女を見つける。彼女は人間と敵対する獣人の長・螺旋王ロージェノムの娘、ニアだった。シモンは彼女と大グレン団達によって立ち直っていく。大グレン団は王都テッペリンを目指し、ロージェノム配下のガンメンを打ち破る。死闘の末、シモンはロージェノムを倒し、王都テッペリン陥落に成功する。しかし、ロージェノムは死に際に「100万匹の猿がこの地に満ちた時、月は地獄の使者となりて螺旋の星を滅ぼす」という不気味な言葉を残す。

第3部 怒涛編 7年の時が流れ、地下から解放された人類は地上で平和な生活を満喫していた。テッペリンには新都カミナシティが建設され、新政府を設立したシモンたちは忙しい日々を送っていたが、ロージェノムが遺した言葉が気にかかっていた。そして100万人目の人類が産まれた直後、人類はアンチ=スパイラルと名乗る謎の敵からの空襲を受ける。ニアはメッセンジャーとして覚醒し、3週間後に月が地球に落ちると宣告する。ロシウは人々の動揺を抑えるため、シモンを逮捕、拘束。多くの人類を見捨て巨大戦艦アークグレンで宇宙に脱出するという苦渋の決断をするが、そこにはアンチ=スパイラルの巨大ムガンが待ち構えていた。シモンはヨーコの助けで脱獄すると、グレンラガンで宇宙に出撃。アークグレンと合体してアークグレンラガンとなり、ムガンを撃破。さらに月に偽装した超巨大ガンメンであるカテドラル・テラを制御可能にして地球への激突を回避する。

第4部 回天編 シモンがニアに贈った指輪を頼りにアンチ=スパイラル母星の位置を掴んだ大グレン団は、カテドラル・テラを超銀河ダイグレンと改名、全ての戦いに決着を付けるべく敵母星へと向かう。途中仲間を失いながらも、シモンはついにニアを探し出し、天元突破グレンラガンでアンチ=スパイラルに勝利。宇宙では他の螺旋族からも喜びの声があがった。仮想生命体であったニアはシモンとの結婚式の途中消滅。シモンはコアドリルをギミーに渡し、旅に出る。


この作品にはキーとなる要素が多く存在するが、私は登場人物が作る関係のあり方に着目した。現実世界においてもこのアニメの世界においても、人間はそれぞれの個体が関係し合うことで生存している。その繋がりの様相は大きく水平的関係垂直的関係の2種類に分けられるだろう。水平的関係とは友人や同僚などそれぞれ対等な主体として関わり合う間柄を意味する。対して、垂直的関係とは身分や階層の差を含む関係性のことで、上司/部下、師匠/弟子、政府/市民などの例が挙げられる。本作ではこの二つの関係が対比的に描かれている。 

第一部においては垂直的関係の喪失水平的関係の構築が描かれる。例えば、シモンは地震で父母を失ってから、すなわち最も基本的な垂直的存在を失ってから、「穴掘りシモン」として独りで暮らしていた。しかし、カミナが「アニキ」となることで、シモンは生を肯定されよりよく生きる道を進んでいくようになる。「アニキ」という言葉が指し示す通り、ここには擬似的な兄弟という水平的関係が見て取れる。そのほかにも多くの人間が垂直的関係を(時には積極的に)失いカミナ率いる大グレン団へと入ってくるが、そこに縦方向の関係性は生まれない。その代わり、彼らは「ダチ公」「兄弟」として横の繋がりを獲得していく。
作中において、垂直的関係を喪失し新たな水平的関係を構築していくのに必要とされているのは信じる心だ。第1話でカミナは未知なる敵に怯えるシモンに対して「俺を信じろ、お前を信じる俺を信じろ」という言葉を放つ。相手を信用することにより二人の間に対等で相互的な関係性が生まれる。この台詞は第一部において何度も繰り返されるが、第8話(=第一部の最終回)で大胆に変奏される。まず、カミナは「お前を信じろ、俺が信じるお前を信じろ」と言う。先ほどの台詞とは「俺」と「お前」が反転している。この言葉は、シモンがカミナを信じているから、そしてカミナが「シモンは俺を信じている」ということを信じているからこそ発することができるものだ。自分の信ずる相手が自分のことを信じているという事実が自分を信じる契機となることを端的に示している。そして、この台詞はまた形を変え、「お前を信じろ。俺が信じるお前でもない。お前が信じる俺でもない。お前が信じる、お前を信じろ!」という言葉になる。ここでは、今まで培ってきた他者との水平的関係やその根底にある他者への信頼を自分に反射し、自分一人で自らを信じることが求められている。


しかし、幼いシモンにそれは難しく、カミナの死後自暴自棄になってしまう。彼にとって、自分を最も信じてくれた水平的存在の喪失は自己をも揺らがせてしまうものだった。第9話から登場するヒロインのニアは「アニキ」を失い自分を見失った彼にいつまでもいなくなった人にこだわり続けることの虚しさを説く。それは確かに正しい意見であり、私も同意する。もうこの世にいない人に頼ることはできない。しかし、シモンにとってカミナの死は自分の死に等しかったのだ。たとえ自分の存在を確かめるために腕力を使い敵をなぎ倒しても、人と人とを繋げる力を持つカミナの穴は埋められない。その自己存在の虚無感は結果的にニアとの水平的関係の構築によって癒されていく。「かわいいニアの出現によってシモンが回復する」という話の流れを「都合が良い」「男性中心主義的」と捉えるかもしれないが、事実カミナほどのパワーをもってシモンを信じることができたのはニアだけだったのだ。ニアはシモンを信じ救うためのツールとしてではなく、シモンに信じられる一人の人間として描かれている。彼らの水平的関係は相互的な信頼によって構築されるものであり、決して話の都合やお約束の実現のために提示されたものではない。ここまで見てきたことから、第二部(=カミナの死後)では水平的関係の喪失/復活自己存在の承認が焦点になっていると言えるだろう。


ところで、一つ考えなければいけないのはカミナの立ち位置である。カミナはグレン団のリーダーであった。となると、リーダーは指揮官であり他のメンバーに指令を下すはずだ。ゆえにカミナとグレン団のメンバーの間には垂直的な関係性が存在したのではないかとも言えるだろう。しかし、彼のリーダー性とはその名の通り先導者、誰よりも前に進む存在としてのものなのだ。上から命令を下すような垂直的なあり方ではなく、同一平面上で目指すべき背中を見せ続ける姿だ。メンバーたちはその背中にリードされながら自分たちのやるべきことを見つけていったのだ。
だが、そんな背中を見せる男カミナもまたシモンの背中を見ていた。第11話において、カミナが黙々と穴を掘り続けるシモンの背中を見てその背中に笑われない男になることを決意したと語る回想シーンが挿入される。ここでは、二人の関係性は一方が一方を追いかけるというものではなく、相互に認め合い信じ合い追いかけ合うもの、すなわち水平的関係であったことが示唆されている。

その背中だけ 追いかけて ここまで来たんだ 探していた 僕だけにできること(OP曲:中川翔子空色デイズ」)


第三部・第四部では垂直的関係と水平的関係の融合が描かれている。人間は垂直的関係を必然的に生み出してしまう。かつての螺旋王・ロージェノムがそうであったように、第三部においてシモンは新政府の総司令になり人の上に立つものになったのだ。結局、そこから綻びは生じていく。カミナタウンには高層ビルが建てられ、権力や格差が生み出されていく。その中でアンチ=スパイラルの攻撃を許し、地球は混乱の渦に巻き込まれる。本当の意味で人の上に立ち市民と権力の関係を考え混乱を鎮めようとしたのは、冷静で知的なロシウけだった。水平的関係の世界に慣れすぎた他のメンバーには政治を行うことなどできなかったのだ。しかし結局人の上に立ったロシウには地球を救えなかった。シモンがカミナの背中を追い、それを追い越し、背中を見せる者(=先導者)として新政府軍を引っ張ることで地球は救われたのだ。垂直的な関係の構築は人間の本性であり避けられない。だが、それは上述のように権力関係を生み出し人間社会にとって脅威となりうる。その副作用をカバーしていたのがカミナやシモンが作り出した水平的関係であり、その源泉となる信じる心(≒気合い)だ。それぞれの個体が眠りにつき地に横たわるというアンチ=スパイラルの作り出した景色は究極の水平的関係を如実に表している。だが、そこには個体同士が関係しあい自らを高めていく契機は存在し得ない。相手のことを信じ、自分のことを信じ、関係を構築していくことによって、自らの持つ能力を発揮し向上させられるし障害を乗り越えられる。水平的関係の構築は人間のよりよい生のために不可欠だろう。我々は生きなければならない。そのために、我々は上昇しなければならない。だからこそ、同じ地平で繋がり合わなければならない。


P.S. これを書くに当たってネット上に漂っている色々な感想・批評を読んだが、とりわけこのレビューが興味深かった*1。私は第三部・第四部の存在意義をうまく見つけられていなかったのだが、本レビューでは『天元突破グレンラガン』をロボットアニメに対する批評性という点から読み解くことによって説得的に意義づけられていると思う。

someru.blog74.fc2.com

本当はもっと色々、あそこのシーンが好き、とか書きつけたいのだが既にしんどいので適当に呟く、かも…本当に疲れた…最後の方はもう本当にごめんなさい……今度何かを書くときははじめにアウトラインを書いてからにします……

*1:転載するまで気づかなかったが、このレビューはライターのさやわかがソメル名義で書いたものだった、どうりでしっかりしている……