ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

ささやかなうそ

電車にゆられて、大学へ。昼間、余裕のある時間。となりの席にひとつの家族づれがすわった。まず、母と娘から。小学校に通っているかいないかくらいの年頃とみうけられる娘。母の紙袋から飴をとりだしたべ「みかん味!」と声をあげる。微笑みながら娘の持った味の感想を聞く母親、にも飴をたべるように勧める彼女。母が「グレープフルーツ味かなあ」と答えると、彼女は想定されるにがさに対し大人びない率直なコメントをした。

飴の袋には様々な果実と野菜のイラストが施されている。トマト、グレープフルーツ、みかんなど?塩分もふくまれていて、熱中症予防にも効く?彼女はその飴をほおばるたびに違う味を楽しんでいることが語りぶりから推し量られる。

にぎやかさの中、となりの車両からやってくるのは姉。姉は妹のとなりにすわり、また、妹に飴をたべるように言われて手に取る。彼女に例のごとく味を聞かれた姉は静やかに笑いつつ母に耳打ちをした。曰く、この飴はみな全て同じ味ではないのか、と。母は聡い娘に目配せをして、姉は彼女に「トマト味かな」と応答する。続いて最後にやって来た父も飴を食べ、また、味を答える。「気づいた?この飴、みんな同じ味なの」と娘に悟られないようにジェスチャーとウィスパーを織り交ぜて尋ねた妻に夫は笑いながら頷く。彼女はまだ飴の味を確かめていた。

ここにささやかなうそがある。小さな虚構を信じるためのささやかなうそ。いや「虚構」なんて言葉は似合わない。彼女は同じ味の飴に違う味わいをかんじているから、ほんとうに。その生活にあるささやかで不安定なリアリティをそのままにするための、ささやかな工夫がたまたまうそだった。それを家族というまた別の、大がかりな工夫がささえている。この世は、ささやかなうその積み重ね。不確かなほんとうを壊さないための、ささやかな。その存在に気づいた日の記録をぼくはここにのこす。小さな物を見逃さないために。

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