ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

僕の逡巡(青年団リンクキュイ『プライベート』)

えー、難しいなあ。ドキュメンタリー演劇、だったのかなあ。いや、なんかキュイの『プライベート』って作品を観たんですけど、個々のシーンとかエピソードで笑えるところはあって、俳優さんもそれぞれの素敵さあるし、滝沢さんの演奏も空間に絡みながらっていう上演で、時間としてもしくは経験としては楽しかったんですけど、作品全体としてどうだったかっていうとよくわからなくなっちゃって。基本的には、稽古場、実際にこの作品を作るにあたって行われた稽古を再現するっていうのが作品の核で、想像による補完とかあからさまな嘘がありつつ、舞台上では異なるエピソードが同時に語られたりや同じエピソードが異なる人によって語られたりで、印象としてはかなり雑多、もちろん無造作ってことではないよ、で、観客は舞台上のたくさんの要素の中から気になるものを取捨選択しながら観劇する。その中には本当のことを起点にしながらも「こんなことは無かったんですけど」というエクスキューズとともに語られる話とかもあって、虚実が入り混じっている。でも、いまこの時間は本当だねっていう、まあ畢竟、演劇かあっていう。

綾門×橋本ドキュメンタリーシリーズ、っていま勝手に名付けましたけど、これはたぶん4作品目に当たって、ほかのものは『あなたが墓場まで持っていこうとしている出来事をわたしに教えてください』っていうのしか観てない。なんか、それは個人的には好きで、お互いの実際のエピソードを入れ替えて話すってことをやってて、他人のことを勝手に語ってしまうことの傲慢さにぞくっとしつつ上演の時間を楽しんだ。ほかの観客の人は、その時フィードバックタイムがあっていろんな意見が出た気がするんだけど、まあそんなに覚えてはないが、あんま面白くなさそうにしてた。でも、今回はもやもやっていうわだかまりが上演中あるみたいな。前回はそれが面白さに直結してたけど、今回は別個のものとして存在している感じ。まあ綾門さんはよく上演の時すげえ良い!ってなって次の日に忘れられる作品よりも、何日もそのことに思いを巡らしてしまう作品の方を大事にしたいみたいなこと、これはマジでざっくりとした物言いだから真に受けないで欲しいけど、でもそんな感じのこと言ってて、その観点からいえば成功なのかな。だけど、意図っぽいものが結構成功してんじゃん!って思える状態でも、考えさせることは可能なはずだから、まだまだ頑張れるのかなって、いや、どこ目線だよって感じだけどさ。

このシリーズによくあがる批判っていうか、感想として、本当か嘘かどっちでも良かったっていうのがあるらしい。実は、結構ぼく自身は舞台上で嘘を付くって行為に可能性を感じてて、作品作るときとかに取り入れてて、っていうか橋本さんと綾門さんの吉祥寺でやったワークショップ、僕参加してたんですけど、そん時も香川県についての嘘をつくっていうのをまさにやってて。でも、今回人が舞台上で嘘ついてんの観て、あんまり面白くないのかもしれないって思ってしまって。うわ、恐ろしい。それは嘘のレベル、飛躍度合いとか、舞台上でそれまで「本当のこと」がどれだけ語られたかとか、いろんな軸が違ったからかもよ、と僕の中の嘘をつきたい欲求は言うんだけど、えーこれちょっと考えなきゃいけないなって。これもっと言語化、っていうかもう少し分析、腑分けみたいの必要だな。今の所、ただの悪口。申し訳ないなあ。

あと、どっちでも悪かった、嘘でも本当でもっていうシーンがあって、それは、橋本さん、演出の方なんですけど、出演もしてて、ある箇所でカミングアウトするんですね。で、それがなんか本当でも嘘でも怖いなっていうか、そこまで負えないなっていう。これは、新聞家についての文章で書いたことと食い違ってるかもなんですけど、でもそんなに軽くない「事実」を共有するためにはある程度の手続きが必要な気がして、多分それがなかったと思う。いや、まあ、カミングアウトという行為自体、既存の社会構造が持つ歪みみたいなものによって生み出されていて、その主体が責められるっていうのはおかしいんだけど、でもなあ、なんだろう、怖かった。2回見たんだけど、2回目はそのシーンが来る前から心臓がばくばくしてしまった。

で、前に、フィクションなんだけどその中で語りが錯綜していって、何が「本当」なのかがわからなくなるっていう作品を観たことを思い出して、きっと僕が不勉強なだけでそういう作品結構ある気がするんですけど、それに勝ててない?まあ、勝つっていうとなんかニュアンスがアレですけど、でも作品作るからにはその鑑賞体験に固有の価値があるはずで、今の所、虚構内虚構の方が面白い?2次的なところで虚実が入り混じっている方が面白い?みたいなことになってる。ちょっと、メタフィクションとかモキュメンタリーとかそういうのあんまり詳しくないから全然わかんないや。あーあ、経験が欲しい〜。

あ、あと、所々、綾門さんが喋るのを俳優が再現するんだけど、まあそこそこ演劇観ている人ならどこかで綾門さんが喋るのを観たことがあって、普通に面白い。むらさきさん、流石に同級生だしうまいな、みたいなこと思っちゃう。けど、どうなんだろうっていう。いや、もちろんね、プライベートって作品だし、一定の人にしか分からない面白さをパブリックな劇場空間に提示することを狙ってやってるのかもしれないけど、なんかハマってない気がするんだよなあ。演劇をあんまり観たことない人があれ観て面白がれんのかなってことを考えてしまって、これは私の杞憂なのかもしれないので、あれなんですけど。ていうか、空想アフタートークもそれ単体では面白いし、語り手が増殖したり乗っ取られたりするのも、全体にどう紐づくんだろうという疑問。まあ、作品全体が何かによって統一されていなければいけないなんて決まりはないので、私の勝手な疑問にはなるわけですが。

ていうかもっとガチで再現しにかかればいいのに。なんでごちゃごちゃしちゃうんだろう。いや、もちろんなんか現実ってそういうことだし、うわ「現実ってそういうことだし」とか思いもするけど、でも世界をそうやってそのまま写し取ってる感みたいのはあるけど、それをするとやっぱりどうでもよくなっちゃうのかなっていう。もっと、もっと、もっと、緻密にしたところに逆にプライベートが見えちゃうみたいな、そっちの方向いけるんじゃないのっていう。これはすごく勘。適当。放言。そういえば方言の話してたな。本当はもっと、しっかり語んなきゃいけないはずなのに、ごめんなさい。

でも、最後のシーンはめっちゃ好きだったなあ、いや本当に、心から。いやお前舞台に立っとるやんってつっこめちゃうけど、人のプライベートを守るために観客がそれぞれのプライベートを作り出す時間が生まれていて、グッときちゃった。カミングアウトもあれして欲しかった。全編あれでもいいや。パフォーマンスとしてすごいよかった。あれ、後ろから見ると結構ほんとにグッと来るよ。

で、まあ2回目観た後、やっぱりよう分からんなあどうしよ〜と思いながらも、まいばすけっとでチョコフレークを買って渋谷までの道を歩いていたら、同じ回を観ていた人に話しかけられて感想をシェアする。新聞家の意見会で発言されてて、キュイも観てたんで、ちょっと話しかけようかなと思って、と言われた。あ、そういうこともあるんだねって。なんか、お祭りだねって。フェスティバル、いいじゃんって。結果、いい経験になった、という結論でお別れする。うん、いい経験になった。