ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

亜人間都市『東京ノート』を終えて、散策者『思想も哲学も過去も未来もない君へ。』に向けて

 何度も言いますが、最近は演劇をしています。たぶんあんまり演劇と言われて多くの人々が想像するようなものには参加していないけれど、それは紛れもなく演劇、きっと。たぶんこの時期まわりの同年代の人たちは就活とかしているのだろうけど、僕は演技プランを立てることがエントリーシートを書くことだと思っているし、実際に人前で演技することが面談/面接だと思ってるし、フィードバックをもらって自分の演技を反省するのは自己分析/他己分析だと思っているので、結局私も就活をしている。世間のスタンダードに思わぬ形で乗っていたなあ。

 冗談はさておき、3月上旬に10月ごろから稽古をしていた亜人間都市『東京ノート』の公演を終えた。これまでワークショップ公演に参加したことはあったが、長期的な稽古や複数回の上演を行う作品への参加はこれが初めてだった。今となっては恥ずかしい話だが、実際に作品の創作に着手する前は自分には俳優としてのセンスがあると思っていた。だって僕面白いし、高校の文化祭やら大学のサークルの余興なんかでコントとかしてたし?演劇もさ、そこそこ観てるし?いけるんじゃね???この楽観的な予想は稽古場でズタズタに引き破られることになる。何もない、だからこそ何もかもがある舞台空間に身を置くこと、それを観客の目に触れさせることの大きさについて気付かされた良い機会でした。本当にこれが初舞台で良かった。気付かずに居てしまうことは怖い。舞台の上で自覚的に適切に行動すること、しかしそれは外から持ち込まれた必然性ではなく、今ここで生み出される必然性による行為であること。そういう心構えが必要だといまは思う。
 打ち上げで「わたるくんは普通のお芝居を一回やるといい」と言われた。確かにそうだと思う。台詞のタイミングだったり身のこなしだったり、あまりにも経験値がないものだから、悩むことが多かった。例えば、相手の台詞との間に不必要と思われるような間が生まれていたり、しっかり客席まで届くような声を出したりはっきりした動作をすることを恥ずかしがってしまったり……。ある程度は克服されたけれど、まだまだ課題として残っている。やはり俳優は技術を持つ者であって、その技術をうまく表現に結びつけなきゃいけない。なおかつ、技術がないとなかなか表現の欲求も出てこない。あぁ、マジで音楽と一緒やんけ〜〜〜。


 さて、1月の終わりから自分の所属している「散策者」という団体の稽古も並行して参加していた。中尾という授業で知り合った男と愉快な仲間たちで。今日(3月16日)初めて通し稽古をした。今まで稽古にいなかったスタッフの目も入り、頭から最後まで通すのが初めてということもあり緊張感が漂っていたと思う。結果から言うと、個人的には「ヤバイな、これ」というのが正直なところです。通しの途中で僕は飽きてしまって、それは色々理由があるけれど舞台上で何かが生み出されている感覚を持てなかったのが大きな原因で、仕方がないので暇な時間は音楽に合わせて踊っていた。まあ、これまで個々のシーンの創作とその前後の繋ぎの確認しか行っていなかったから当然の帰結だった。結局、通しは演出の中尾の所用により最後まで到達せず、1時間55分で中断させられた。上演の目標時間は1時間半程度、絶望。しかし、用事を終えて帰ってきた中尾はむしろもっと崩壊するかと考えていたらしく、そしてこれまでの稽古は創作で残りで練習をする心算だったことを明かした。なんだか安心と不安がないまぜになった感じ。とはいえ、彼の言う通り我々がやるべきことは明々白々である。それを自覚するのが通しというものだ(よく知らんけど)。
 稽古場で創作の過程を見てきたはずの自分でさえ耐えられないのだから、我々の作品に期待を持っていない観客になど2時間を楽しむことはできない。おそらく彼らに想像力を駆動させる取っ掛かりを作れていないのだろう。面白いものがそこにあると分かれば、観客は頭や眼や身体を使って舞台上の物事を感じ考え想像することが可能になる。そのフックを上演に設置すること。僕は観客を切り捨てたくない。いろんな見方を持った人々が客席にいて、彼らが自身の仕方で楽しめるような作品が作れればそれが一番いいじゃない。もちろん私たちには目指すべき表現のあり方は存在して、その中で表現する。だからある種の狭さは存在するのだけどその狭さがそのまま受け取り手の狭さに繋がらないようにしたい。むしろ狭さによって広い表現を獲得できるはずなんだ。
 もっと俳優が自分の領分で出来ることを自覚しなけりゃならない。自分にはこの作品においてこんなことができるんだ、しなきゃならないんだということを発見していかなきゃいけない。今のままではなんだか強い演出家がいて俳優はそれに完全に統御されているかのようだ。思考停止。それは俳優にとっても演出家にとっても悲しい。あくまで稽古で創られたものは仮固定のものであり、そこからもっと広い可能性に目を向けて常に選択し続ける。それが、きっと、演劇。

 そういったわけでこれまでの稽古で培われたものどもから飛翔していく残り1週間の練習と3日間の公演になります。色々書きましたが観るべきものは必ずそこにあります。それは確かです。だから、1週間かけてここには面白いものが埋まっている、浮いている、遍在している、現前していると稽古場での時間を共有していない観客にも感じてもらえるように成長していきます。ま、あんま気にせず気軽に来てください。予約はこちらから!

stage.corich.jp

 演出の中尾や出演の田中の書いた文章のリンクも以下に添付しておきます。

nakawo546.hatenablog.com

nakawo546.hatenablog.com

note.mu

 

追記)今日(3月17日)に稽古をしてみて、一日だけでもだいぶ変わった気がする。みんなができること、やれていることを考えて、互いに思考できていてなんだかいい感じ。僕らはゲームのプレイヤー。舞台で真剣に遊びます。