ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

飲み会の効用/惚気たいっすね

飲み会の効用

久々にオールというものをした。中野、劇団の公演の打ち上げ。僕はそんなにお酒が強くないので、少しお酒をセーブしながら、その代わり慣れないタバコなんか吸ったりして、皆と今回の作品について、演劇について、自分のことについて、さまざまなことを話した。

でも、率直に言って今その場で交わされた会話の3%も憶えていない。7時間くらい誰かの話を聞き、誰かに話をしていたのに、もう僕の脳の中にはその内容は記憶されていない。それは飲み会という人間の記憶力を麻痺させる仕掛けが張り巡らされた営みにおいて避けがたいことだ。そこに昨夜夜通し飲みながら新たな価値のようなものを見つけた。

それは哲学が発見される、出会われるという奇跡が起きるという価値。疲れた体にアルコールを注入して眠気を帯びた脳がとろけた状態にあると、自分がいつも考えていることと自分が考えてもみなかったことが同時に自らの口から溢れてくる。そこに思考が有機的に結び付いて、新たな哲学と出会う契機がある。昨日僕はあまり人にしていない話を久々にして、人の話を聞いたり聞かなかったりして、最終的に今まで出会ったことのない考えに行き着いてしまった。自分の思想や哲学や過去や未来というものが不意に繋がってしまって、また他人のそれと融合してしまって、自分の中で新たなネットワークが構築された。そんな夜だった。そんなことを中央線の中で一人考えている。こうして出会ってしまったひとかたまりの考えをどうやって受け止めたらいいのか分からない。

 

惚気たいっすね

もう少し惚気られるようになりたいと思った。ここでの惚気っていうのは恋人に限らず自分の好きな人の話を他人に話すことだけど、僕はそれを恥ずかしいと思っているみたいでなかなかうまくできない。意外と人の惚気を聞くのは好きだったりして、していいことだとは思うんだけど、やっぱり聞き手の楽しさなどをつい考えてしまって口が止まってしまう。でも、正直人との会話なんてもっと楽にされるべきだよな。もちろん。もっと自分の話ばっかしていいし、人の話は聞かなくていい。場に対してある種の無責任さを持つということがその場を活性化させる効果を持ちうるだろうから。エピソードトークとかすべらない話とかそういう枠でもって話をするのは、というよりそういうパッケージングされた話を聞くのは楽しいけれど、無意識のうちにまとめてしまうのはきっと良くない。だからいま僕はこんな文章を書いているよりも、あなたととりとめもない話がしたいよ。僕の好きな人の話をさせて。あなたの好きな人の話、勝手にしてくれていいから。僕の出会った哲学の話をさせて。あなたの思想も、セルフサービスで開陳してくれていいから。