ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

あなたと向き合って態度を決めたい(です)

会話は常に選択の連続だ。それはなにを話すかという内容面だけでなく、どう話すかという形式面での選択でもある。

例えば、僕があなたと初めて出会う。おそらく僕は敬語であなたに話しかける。知らない人に対しては言葉のうちに尊重と一定の距離取りを内包する敬語を使うのが一般的だ。そんな小難しいことを考える間もなく大抵の人間はそういう選択をしている。

話しているうちに僕はあなたの年齢を知るかもしれない。もしくは、能動的に知ろうとするかもしれない。年上、同い年、年下。年上だった場合、おそらく僕は変わらず敬語を使い続けあなたは徐々にタメ口へと移行していく。年下だった場合はその逆になるだろう。同い年であればお互いにタメ口へと変化させていくのが普通と考えられている。そのような移行や保持はあまり意識的にはなされず、いつのまにか年齢(もしくは性別の異同やあるコミュニティに属した年数など)によって口調が定められていく。

しかし僕はあなたに対する態度決定を無意識や無言の要請に委ねたくない。性別や年齢、立場によってではなく、あなたと僕という2人の人間の向かい合いから態度を構築していきたい。相手が年下だと分かるや否やタメ口に切り替える人間を見ると僕はどうしてもその人を疑ってしまう。君のその行動の根拠はなんなんだ、それは相手側の様々な面を捨象してはいないか。そしてそれはすぐさま自分に返ってくる。自分がそのような無意識の構えに囚われていることに気付くとき、僕は無数のあなたとの関係を反省せざるを得ない。

だから、年上のあなたへ。僕はあなたに対しては当面の間敬語を使うでしょう。それは、あなたが年上だからではなく、あなたのことを尊重すべき他者として扱うしかないからです。だから、あなたのことをもっと知ったならば、あなたと親密な関係になりたいと願ったならば、あなたといつのまにか仲良くなっていたら、そのときにタメ口を使うかもしれない。それは決してあなたという存在の軽視ではなく、僕があなたという1人の人間と向き合い関係を構築する営みの結果なのです。同い年もしくは年下のあなたへ。僕はあなたが同い年もしくは年下だからといってタメ口を使いたくはないです。あなたとの距離を縮めたいという感覚が生まれたときにタメ口へと移っていきたい。けれど、僕は時々その理想的なステップを飛ばしてしまうことがあります。きっとそれが楽だから逃げてしまうのです。その言い訳として、この場合は特に年下のあなたに対して、僕にタメ口を使っていいと提言することがあります。それは結局あなたに対してぼくがしている、したいと望んでいる選択を押し付けることになるのですが、そういうことを言ってしまう。その裏にはきっとあなたと仲良くなりたいという気持ちがあるのだと思います。あなたに僕の思想を押し付けないように十全の努力はしますが、もし僕がしくじったときはこういうことだと思ってほしいです。