ブラックホール

書くことで何かを見つける日々です

法事は回遊式演劇だ(という話はほとんど出てきません)

昨日は祖母方の曾祖父母の法事だった。と言ってみたものの、実のところ結局誰の法事だったのかは分かっていない。祖父から法事があるので参加しろとだけ連絡が来てわけもわからず参加したが、他の親戚ももう故人の話などせずお互いの近況報告に精を出していたから、話の中から誰の法要なのかうかがい知ることはできなかった。13回忌だったからきっと私が小学生の頃に亡くなった曾祖母なのだろうと思う。ただ、そう考えると、私が生まれて間もなくこの世を去った曾祖父の13回忌はとっくに終わっているはずで、きっと他の誰かのものだったのだろう。私にとっては遠い親戚の遠い死を懐古することに変わりはないのだから、誰であろうと良いのだ。

祖父の車に揺られ南へと下る。寺に着くとまずは畳敷きの部屋に通された。祖母の兄弟姉妹やその娘息子などが何人か既に部屋にいるので、彼らに久しぶりに会った感慨とともに挨拶をする。お互いがどのような関係性だったか曖昧なまま、それをゆるやかに固定していきながら、お互いのこの頃について話を巡らせる。とはいっても前回まともに会話をした時はもっともっと幼い頃だったので相手の情報などほとんど失念している。だから、聞かれた話に答えて、タメ口と敬語の間をせめぎあっているうちに住職がやってきてしまった。

「準備はできましたので、お揃いになりましたら」

あまり昔のことは覚えていないけれど、住職の顔はなぜか記憶に残っていた。記憶の底にあった今より少し若い住職の顔と目の前にある記憶より少しだけ白髪混じりの住職の顔が綯い交ぜになった。

施主のおじさんが弱々しく部屋の人々に声をかけ御堂(という表現が正確なのか分からないが便宜的にそう呼ぶことにする)へと向かう。昔からこのおじさんのことを「宇都宮のおじさん」と呼んでいた。宇都宮に住んでいるわけでも、母の兄弟であるわけでもないから、親戚の呼称としては甚だ間違いだらけだ。幼い頃の私は逆三角形の輪郭に「宇都宮性」みたいなものを認めていて、それを頑なに主張していたことは覚えているし、今でもその感覚が理解できる。

御堂に向かうと20脚くらいの椅子が並べられている。私と母と祖父は故人と近しい関係ではないので後列に陣取った。祖母は後から来て、宇都宮のおじさんに「華はやっぱり真ん中に座らなきゃ!」と冗談めかして言われて前列の真ん中に腰を下ろした。全員が揃うと住職が「それでは」とお経を唱え始める。

私には唱えられてる文言の意味は分からないのだけれど、木魚とお経のリズムを感じながら所々聞こえる「南無阿弥陀仏」や「13回忌」という言葉を飛び石のようにしながら。目の前でひたすらに経を唱える僧侶の姿を見る/聴く。そうしながら別に人の生死に限らず取り留めもない、今となっては思い出せないことを色々考えていたら、南無阿弥陀仏タイムが到来する。意識を飛ばしていた他の参列者もそこではポーズだけでもと思うのか手を合わせてみたりするのである。何回かの南無阿弥陀仏タイムを経て、次はお焼香をする段になる。前列の人々は前に行ってお焼香をするのだけれど、日常生活で焼香の機会などそうそう無いのでみな我流で押し通している。後列に至っては足の悪い親戚のために後ろまで持って来た香炉をそのまま回してしまい、膝の上でお焼香をする羽目になった。

焼香が終わると先程までのように住職のワンマンライブへと戻っていく。すると、私が幼い頃よく相撲を取ってくれたおじさんがおもむろに立ち上がりデジタルカメラで写真を撮りだした。銀色の旧式のコンパクトデジタルカメラは昼間の明るい部屋だというのに高らかにフラッシュを瞬かせる。おじさんのいつのまにか細く白くなってしまった姿を横目に見ながら、彼がこの写真に写ることはないのだなあと思った。

僧侶の手の動きがだんだんと遅くなり、やがて御堂は静寂に包まれた。住職は振り返って参列者の方を向き、何だか心地の良い話をした。法要は故人が遺された人々に善の時間を与えてくれる貴重な時間であって、そのことに感謝しつつ生活の中で善い行いをすることが供養になるのだとか、そういった話だった。前列の人々がいたく感心したことを頷くことで表明するのを後ろから静かに見た。

話が終わると最後の南無阿弥陀仏タイムだ。10回の念仏を20人ほどの参列者で唱える。死者への葬いという意味の限定を超えた繋がりがあの部屋に存在した気がする。

参列者の中で一番若い私と宇都宮のおじさんとで卒塔婆を運び、皆で墓参りをする。建物の外に向かいながら、しばしの語らいの時間が訪れる。どちらの道から行くのが近いのだろうと言いながら、今まで通っていた道を相も変わらず歩く。少しずつ、一人一人、墓の周りに人が増えて行く。一人ずつ線香をあげて手を合わせる。手を合わせるを他の参列者も見る。死者も我々を見ているのだろうか。見ていないだろうな。死んだのだから。

墓参りが終わると住職は足早に去って行き、参列者は離れで食事をする。私とあなたと、そこにはいない親戚の近況などを話しながら、高そうな和食を食べて腹を満たす。久々に親戚の集まりにきた義理の大叔父さんなどは嬉々として昔話に花を咲かせていた。法要とはこんなに楽しげな雰囲気だったのか。葬いの概念を更新しながら、抹茶のわらび餅を口に運んだ。

昼餐を終え会はお開きとなる。施主から大量の引き出物を受け取り、これからの軽食に困らないなと不純な気持ちを抱えつつ、離れを離れる。宇都宮のおじさんから「大学生のうちに合コンにいっぱい行けよ!」という謎のエールを、大叔母さんから定番の手作りケーキを貰い、祖父の車で北へと上る。あと何回、この寺、この町にやってくるのだろうか。きっと次にやってくるときは誰かが世を去ったときだから、来たいと来たくないを絶え間無く行き来しながら、家へと向かう。